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思ひで探訪 その1 

40に手が届きそうな年齢もなると、自分の若かりし頃を時々思い出しては、「あの頃は良かったなぁ」なんて、ついオヤジらしいセリフを吐いてしまいます。
僕は、品川で生まれて2歳の頃からは川崎市で育ちました。物心ついた頃からは、親父が野球が好きだったこともあり、その親父とキャッチボールを良くやっていました。
初めてグローブを買ってもらったのは小学校1年の時の誕生日です。玉川高島屋で『ミスタージャイアンツ』のキャラクターが描かれたゼネラル製のグローブ。死ぬほど嬉しくて狂喜乱舞していたのを良く覚えています。自宅の庭で「壁当て」して一人でプロ野球選手気取りで自分で実況しながら遊んでいました。


初めて、野球観戦に行ったのは忘れもしない、昭和56年昭和51年10月10日。後楽園球場。伝統の一戦、巨人ー阪神戦。3塁側ジャンボスタンド。そう、この一戦ではあの王貞治選手が打ったホームランが、伝説のホームランバッター「ベーブ・ルース」の714号に並んだ日でもあるのです。当時の僕はこの偉大な記録にあまり関心が無かったのか、意味がわからなかったのか、ただ当時大好きだった「王選手のホームラン」を2本も見れた事が嬉しくてたまりませんでした。
そして翌日も親戚のおじさんに連れて行ってもらった後楽園球場。初観戦は生意気にも2戦連続でした。昭和56年10月11日はとても風の強い日で3塁側ジャンボスタンド上段はとても高くて怖かったのも印象に残っています。
そんな恐怖心を振り払ってくれたのが、「王貞治」でした。前日に引き続きまたまたホームランを打ってくれた王選手はこのホームランで、ベーブ・ルースを抜く715号。名実ともに「世界の王」になった日です。この715号ホームランの軌道は今でも忘れません。阪神・山本和行投手から打った打球は打った瞬間「いったぁ!」って感じの打球でしたが、強い風のせいかライトポール直撃でした。当時、記録に喜ぶのではなくあの細いポールにブチ当てた「神業的な」王選手のホームランに感動していた僕がいました。


もうすでに、ジャイアンツに魅了されていた僕は小学校4年生になって少年野球チームに入会しました。そのチームの名前が「ジュニアジャイアンツ」。讀賣巨人軍と全く同じユニホームの少年野球チームです。監督が元巨人軍の投手(大成しなかったらしい)をしていたこともあってかなり、今思うと少年野球にしては厳しい練習をやっていたと思います。バッティング練習なんて監督がフザケ半分で結構、「マジ投げ」してくるのでバッターボックスに入るだけで怖かったです。
ある日、当時の日テレの持つ少年野球チーム「おはよう!モーニングス」というチームとの試合をすることになりました。毎週、日曜日朝7時に少年野球チームの試合を放送する番組です。
僕たちの放送ではゲスト解説が「王選手」でした。試合前に行なった練習にも王選手が来てくれてキャッチボールをしてくれたり一人ひとりバッティングフォームとかのアドバイスをしてくれました。また、監督が投げたボールを王選手が本気で打ってくれたデモンストレーションもやってくれました。軟式ではあったものの、今まで見たことのないようなスイングと打球スピード。打ったボールも飛びすぎてどっかに失くなってしまいました。w
試合の結果は4-0で完封負けでした。僕の成績も2打数0安打(2三振)。
当時のモーニングスは無敵の強さでした。
憧れの王選手と触れ合ったあの一日はホント、いい思い出です。

場所が川崎ということもあって僕の自宅近辺にはジャイアンツの選手がたくさん住んでいました。知っている限りでは古くは小林投手や西本投手、新浦投手、など。友達とキャッチボールしていたら小林投手がフラッとやってきて一緒にキャッチボールをしてくれたこともありました。小林投手のピッチングフォームを真似てみたりして・・・。他にも川崎の寮を出た選手は多摩川グランドに近い川崎を居住地域にしている選手が一杯いました。


年をとると思い出に耽る時間が多くなります。


たぶん・・・つづく


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[ 2007/05/29 13:08 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)